「数学」と「身体」の結びつきについて、数学者はどのように考えているのだろう?と気になり、本書を選びました。 本書では、前半は数学の歴史、後半では数学を用いて心の解明に向かった二人の数学者の思想を紹介しています。 第一章では、人間が指を折って数を「数える」行為から始まった、原始~中世の数学の歴史を解説しています。当時の情勢や数学に期待された役割など、具体的なエピソードをもって描写されているためイメージを抱きやすく、楽しく読み進めることができました。 個人的には、たとえばローマ数字で1を表す「Ⅰ」を2、3個並べて「Ⅱ」「Ⅲ」を表し、4以降は「Ⅳ」のように異なった形になるパターンが見られるが、これは生来人間の脳のもつ「瞬時に個数を把握できるのは3くらいまで」という能力(スービタイゼーション)とリンクしている。このように、数字は身体能力を拡張するための道具として生まれたことがうかがえる、といった部分が印象に残りました。 第二章では、人間の営みから誕生した数字が、記号や論証の登場、発展等によって高度に抽象化し、身体感覚を離れてゆく過程、そしてアラン・チューリングの研究によってついにコンピュータが誕生する(定義した記号の手続きを外部に行為させる)ところまでを追います。 チューリングは恋愛を原体験に「心」を解明しようと、人工的に「心」を作り出すというアプローチを取りました。チューリングの発明した「チューリングマシン」はソフトウェアや人工知能の基礎となったようです。 この章ではチューリングの個性的な私生活のエピソードや、認知科学的な実験、コンピュータのエラー等、第一章とはまた違った脳の部分が働くような話題が多く、刺激的な章となっています。 第3、4章では、「情緒」をもって数学の難問とされていた多変数解析関数論を解いた、岡潔の思想に迫ります。岡潔の思想は難解ですが、著者はかなり分かりやすく解説しています。特に、生物学の「環世界」を持ちだした点は面白かったです。生物は、客観的な環境の正確な視覚像ではなく、進化を通じて獲得された知覚と主体としての行為の関連をベースに、知識や創造力といった「主体にしかアクセスできない」要素を混入しながら、自ら構築した風景を生きている。そして、数学もまた数学に固有の風景を編む。岡潔は多変数解析関数論の風景に取りつかれ、そこに分け入ったと解説されています。 そして第5章(終章)では「これからも数学と数学する身体はお互いにお互いを編みながら、私たちの知らない新たな風景を生み出し続けることになるだろう」と、数学の行く先に期待を持たせる締めになっています。 一見、無機的な記号の羅列に見える数学も、その後ろにいる血の通った人間の存在を感じられる、数学の文化的な側面を味わえる一冊でした。 最後までお付合い頂きありがとうございました。 タスキー株式会社 大学佳太朗 参照:数学する身体/森田真生