こんにちは。 タスキー税理士法人の青谷麻容子です。 ここ仙台でも、綺麗に色付いた銀杏並木が徐々に葉を落とし、刻一刻と冬の足音が近づいてきています。 皆様のお住まいの地域も、美しい晩秋の景色が広がっているのではないでしょうか。 さて、今回ご紹介する『日本人はどう死ぬべきか?』は、知人に会いに訪れた「角川武蔵野ミュージアム」(埼玉県東所沢)で、たまたま見つけた本です。 だいぶ前に書かれた本ですが、題名に魅かれて買ってみました。 本書は、新国立競技場、新歌舞伎座、そしてこの角川武蔵野ミュージアムなど、数多くの有名な作品を次々生み出されている世界的建築家の隈研吾さんと、『バカの壁』『死の壁』など多数の著書もある解剖学者の養老孟司先生の対談本です。 養老先生は、死を「一人称」「二人称」「三人称」に分けて考えます。 「一人称」は自分の死。「二人称」は家族も含めた知り合いの死。「三人称」は赤の他人の死を指します。 「一人称の死」を考えたり、怖れたりしようとしても、その主体である自分は死んでいるのだから、そもそもそんなことはできない。「三人称の死」も、今この瞬間、世界中で大勢の人々がご臨終を迎えているが、自分はそれらにいちいち心を動かされたりしない。 人にとって「死ぬこと」が意味を持ったり、問題になったりするのは「二人称の死」以外ない。だから、死を考えるという行為は「二人称の死を考える」ということに他ならないと、仰っています。 日本も昭和30年頃までは、東京でも6割以上の人が自宅で亡くなっていたのが、そこから都市化が進み、今では9割以上が病院で亡くなるそうです。 昔、家とは人が生まれ、年を取り、病になり、死ねる建物だったのが、今はそれが病院に隔離され、社会からも家からも締め出され、人間の生老病死という「自然」が見えなくされている。 たしかに、昔であれば、家族に見守られながら年老いて死んでいくのが自然だったのが、現代では、老いたら老人ホームに入り、病に倒れたら病院に入院し、家族から分断されて、孤独の中で最後を迎えるという人が増えてきているように思います。 つらつらと書いてきましたが、私が本書を通じて感じたのは、どう死ぬべきかなんて、どうでもいい。一度だけの人生をのびのびと楽しく自由に生きろ!ということでした。 天寿を全うするまで、この授かった命を大切に、思う存分、楽しんで生きていこうと思えた一冊です。 最後までお読みいただき、ありがとうございます。 「角川武蔵野ミュージアム」は今まで見たことのない迫力と驚きとワクワクの施設でした。 是非、一度は訪れてみてはいかがでしょうか。 タスキー税理士法人 公認会計士 青谷麻容子 参照:日本人はどう死ぬべきか?/養老孟司×隈研吾