第231回 日本でいちばん大切にしたい会社8/ 坂本 光司

こんにちは。
タスキー税理士法人の青谷麻容子です。

今、富士山の標高1000メートルの場所にいます。先程から窓を叩きつける雨音が随分激しいなと思ったら、霰が降ってきていました。すっかり冬ですね。今年の冬は寒くなるという噂も聞きますので、皆様、温かくしてお過ごしください。

さて、今回ご紹介する本は、坂本光司先生のベストセラーシリーズ、『日本でいちばん大切にしたい会社』の第8巻です。
前作の『日本でいちばん大切にしたい会社7』は2020年の3月発刊。その後、新型コロナウィルス問題や、ロシアのウクライナ侵攻のニュースに接し、改めて坂本先生が感じられたのは、物事はすべて先が読めず、不安定・不確実だということ。「だからこそ」という強い思いで本書を執筆されたそうです。

たしかに、コロナであれ、ウクライナ侵攻であれ、二度とあってほしくはないことですが、時代を揺るがす衝撃は、姿こそ違え、これからも起こりうるでしょう。
しかし、どれほど辛い・悲しい・苦しい出来事が多い時代にあっても、リーダーはスタッフとともに、「人をとことん大切にする正しい経営」「世のため・人のためになる正しい生き方」を実践し続けてほしい。と坂本先生は仰っています。

今回の「8」では、この歴史的転換期にある今だからこそ、一人でも多くの人に知ってほしい、示唆に富んだ経営を進めている5つの企業が紹介されています。

どの企業も素晴らしいのですが、その中でも今回は、先日「人を大切にする経営学会 東北支部公開フォーラム」にご登壇いただいた、宮城県仙台市の株式会社フタバタクシー様をご紹介します。
タクシー台数は50台ほどですが、そのうち半分は福祉タクシー。ドライバーの9割以上が旧ホームヘルパー2級以上の資格取得者。さらに子育て支援サービス、高齢者や障碍者のお墓参り・旅行支援・買い物支援なども、普通タクシーとほとんど変わらない料金で行っています。弱い立場の人たちが、どれだけ助けられているかは、利用者からの数々の感謝のお手紙を見れば一目瞭然です。

フタバタクシーは今から60年前の1961年に、現社長のお父様の運作さんが創業しました。しかし、ストレートに現社長の及川孝さんが事業継承したわけではありません。
及川社長は、中学3年の時、母親を43歳という若さで癌で亡くし、あげく祖母も介護が必要な身体となってしまい、3年間介護をしながら中学に通っていたため、高校入試で一浪しています。大好きな母親の死に直面した12歳の少年が3年間、祖母の介護をしながら中学に通っていたら、受験勉強どころではないでしょう。
しかし、こうした実体験が、フタバタクシーを全国有数の介護・福祉タクシーに成長発展させた及川社長の原動力になっているのだと思います。

及川孝さんは仙台の銀行に就職し、実家とは赤の他人のような関係でした。ところが、48歳の時、突然実家の業況が芳しくないことを銀行の融資担当者から知らされ、更に、その時期に父親が癌になってしまいます。
及川社長には色々な選択肢があったのでしょうが、これも自分の宿命と考え、銀行に兼業申請を出します。昼は銀行、平日の夜と土日は実家のタクシー業の手伝いと、入退院を繰り返す父の看病です。
昼間は銀行に出勤し、17時になると退社、一目散に自宅に戻り、風呂に入り、着替えて、父が入院している病院に向かい、日中看病している及川社長の奥さんと交代。いつ容態が急変するか分からない病気で、夜中もおちおち眠ることもできません。ようやく朝を迎え、交代の人が来ると、背広に着替えて銀行に出勤。という生活が3年間続いたそうです。

これだけでも本当に大変ですが、その一方で、及川社長はフタバタクシーの再建に努めます。当時は、義理の母が社長、兄が専務、勤務実態のない兄の奥さんが取締役といった経営陣。内情を詳しく知るため、自分の奥さんを無報酬でフタバタクシーにパートとして入社させますが、自分の立場が危ないと感じた古参の事務員に嫌がらせを受け、毎日泣いて帰って来たそうです。
奥さんから入ってくる情報は、放漫経営で労働組合が威勢を張り、赤字経営なのに要求通りの給与を払うため、銀行から借金をするなど、深刻な問題だらけでした。
これ以上、遠くから支援しても再建できないと考えた及川さんは、長く勤めた銀行を辞め、父が創業した会社を再建する決意を固め、3代目の社長となります。
分かり切ったこととはいえ、入社早々から針の莚でしたが、なんと1年目から万年赤字会社を黒字転換させたのです。

その後も幾多の困難が襲いますが、決して諦めず、戦い続けていらっしゃる及川社長のご苦労を想像しただけで頭が下がります。
そして、「糟糠の妻」と及川社長が呼ぶほど全幅の信頼を寄せ、誰よりも及川社長を支え続けてきた奥様が61歳という若さで突然他界されます。
慣れない一人暮らしや、仕事のストレスから、今度はご自分が突然難病になりますが、入院時も病室にパソコンとプリンターを持ち込んで仕事をつづけたそうです。

「私たちを待ってくれている人が大勢います。儲かる・儲からないとい物差しで、この事業を辞める訳にはいかないのです。私たちを必要としている人が地域に一人でもいる限り、この事業を続けていくつもりです。」と及川社長は仰います。

フタバタクシーさんがこの先も100年企業、200年企業としてこれからも永続していくことを切に祈ってやみません。

思い入れが強く、長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

タスキー税理士法人 公認会計士 青谷麻容子

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